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華陽ニュース
不定期配信 江戸ネタ 32
今年の大河ドラマ「べらぼう」の舞台、江戸。文化の担い手が特権階級から町民へと広がり、政治に与える経済の影響が拡大するこの時代には、様々な文化や風習が新しく生まれ、現代へとつながっているものもあります。
江戸時代の出版や紙、風習や様々な出来事などについて、小ネタをご紹介致します。
32 「改(あらため)」
江戸で流通した書物には下り本=「書物」と地元で制作された「地本」がある、という話は『江戸ネタ 3 下り本と地本』で披露させて頂きましたが、この二つのうち「書物」に検閲が義務付けられたのは享保7年(1722年)のことでした。その前年の享保6年8月に「仲間」、今の同業組合にあたるものをつくることと世話役の「行事」を置くことが書物問屋に命じられ、書物を出版したいと考える書物問屋はまず原稿と出版願を行事に提出して、検閲を受けてから町年寄、奉行所に届けを出してやっと出版が許される、というのが、新しい書物を世に出す前の必須の手続きとなったそうです。書物では重板(正規に売り渡されたわけでもないのに別の出版者が同じ板木で書物を刷ること)や類板(別の出版者が酷似した板で書物を出すこと)が課題となっていたため、仲間行事による検閲はこの重板や類板を防ぐのが主要な目的でした。
この検閲のことを「行事改(あらため)」と言いますが、じゃあ、地本は「改」を受けなくても良かったの?実は享保の改革の折には地本問屋にも仲間の結成が命じられたようなのですが、地本では「重板」「類板」の問題があまりなかったため、「改」も実質的には機能していなかったそう。辞典なら同じものを別の出版者が出版しても気づかれにくいけど、人気小説で同じことをやったら気付くからやらないよね、ということでしょうか?
ただ、寛政の改革の折の検閲は「派手なつくりの不謹慎な本を世に出さないこと」が目的でしたから、規制対象はむしろ地本の方でした。寛政2年10月の町触で、これまで行事さえ置いていなかった地本仲間に行事を2人置くことが命じられ、内容を厳しくチェックする行事改を実施することも求められました。チェックが甘ければ作者、出版者は勿論、行事も厳しく処罰されることになったのです。