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華陽ニュース

不定期配信 江戸ネタ 37

今年の大河ドラマ「べらぼう」の舞台、江戸。文化の担い手が特権階級から町民へと広がり、政治に与える経済の影響が拡大するこの時代には、様々な文化や風習が新しく生まれ、現代へとつながっているものもあります。
江戸時代の出版や紙、風習や様々な出来事などについて、小ネタをご紹介致します。

37 「秋田蘭画」

 1774年、オランダ語版『ターヘル・アナトミア』の和訳書『解体新書』が杉田玄白他・訳、版元・須原屋市兵衛で出版されていますが、この挿絵を描いたのが小田野直武、久保田藩藩士で、平賀源内のもとに寄寓し遠近法や陰影法などの西洋画法を学んだ人物でした。蔦重と同じ1750年生まれの直武は当時まだ20代前半、『解体新書』の序文に「下手ですが断り切れなくて必死で描きました」との文章を寄せていますが、その挿絵は陰影法などを巧みに用いた細密なものでした。
 その後、直武が日本画と西洋画を融合させた画風を確立し、久保田藩藩主の佐竹曙山などに伝えて、曙山などとともに残した作品が「秋田蘭画」として現在に伝えられています。直武は惜しくも31歳の若さで亡くなり、曙山もほどなく亡くなったため、秋田蘭画は廃れてしまいますが、その技法は後の浮世絵、また、銅版画家の司馬江漢や亜欧堂田善にも影響を与えたといわれています。