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華陽ニュース
不定期配信 江戸ネタ 43
今年の大河ドラマ「べらぼう」の舞台、江戸。文化の担い手が特権階級から町民へと広がり、政治に与える経済の影響が拡大するこの時代には、様々な文化や風習が新しく生まれ、現代へとつながっているものもあります。
江戸時代の出版や紙、風習や様々な出来事などについて、小ネタをご紹介致します。
43 「蔦屋重三郎」
貸本屋から出発して一代で希代の出版人となり、様々な文化人を世に送り出した蔦屋重三郎は1797年5月6日、病にて47歳で帰らぬ人となります。死の当日、「正午に死ぬ」と予告したのに昼過ぎにはまだ生きていたので、「自分の人生は終わったのに、命の幕引きを告げる拍子木がまだ鳴らない。遅いじゃないか」と笑った、というエピソードがあり、彼の人柄をしのばせるものとして今に伝えられています。
「蔦唐丸(蔦重の狂歌名)の狂歌は代作」と悪口(?)を残した滝沢馬琴も蔦重の才能を一応は認めていたようで、『近世物之本江戸作者部類』で「世才に優れていたから当時の才人に愛されたし、出版した本は全てその時代の人々の好みに合っていたから、十余年で台頭し、江戸で一、二を争う地本問屋になった」と紹介しています。また、「宿屋飯盛」の名前で狂歌師として蔦重と親交があった戯作者・国学者の石川雅望は、蔦重のお墓の撰文にその人柄を「才知が非常に優れ、度量が大きくて細かいことにこだわらず、人に接するときは信義を持って臨んだ」と刻んでいます。
貴方の生涯が語り継がれ、多くの書籍となり、歌舞伎にもなったのですよ、と聞いたら、蔦重はどんな反応をするでしょうか。「それで本はたくさん売れたのかい?そりゃあまあ、べらぼうな。ありがた山の寒がらすだね」と笑うのかもしれません。