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不定期配信 平安文学と紙 1 紫式部日記

「光る君へ」をきっかけに『源氏物語』以外の平安文学に興味を持たれた方もいらっしゃるかもしれません。
「光る君へ」から連想される様々な平安文学を、「紙」に注目しながらご紹介させて頂きます。

1 紫式部日記

 大河ドラマでは道長の「彰子の出産の様子を書き残してほしい」との依頼で書き始められた紫式部日記。史実では、これが道長などの依頼による公的な記録か、私的な日記なのか、また、現存する部分の前に散逸した部分があったのではないかなど、様々な説が唱えられていますが、ともあれ現存する日記は、ドラマで描写された通り、彰子が一条天皇の子を身ごもって、出産のため土御門邸に里下がりした1008年の秋の描写から始まっています。

 出産直前の穏やかな日々から一転、恐ろしくも騒がしい(周囲が)彰子の出産の様子、皇子誕生後の華やかな行事の数々、彰子が内裏に戻ってからの秋冬のイベントの様子と大晦日の事件、1009年正月三日の皇子の御載餅の儀式までを描く前編。
 「このついでに」という言葉で始まる、彰子に仕える女房達の紹介、賀茂の斎院に仕える女房と彰子方の女房の気質の違い、和泉式部や赤染衛門、清少納言といった他者の批評から自己を省みる、とりとめのない思いを手紙のように書いている中編。
 彰子に第二皇子が生まれ、その御五十日の祝賀が執り行われた、1010年正月15日までの様子を描いた後編。
 大きく分けると、そのような三部構成となっているこの日記の中で、紙は、源氏物語と同じく、状況に応じて選ばれ、場面演出に一役買っているようです。

 彰子が初めての子どもの出産を終え、もうすぐ内裏に帰るという日。「冊子をつくりましょう」と言い出した彰子のために「いろいろの紙選りととのへて」、厳選した様々な紙に物語の本を添えて各所に送り、書写を依頼する紫式部たち。「あなたはもう人の親なのに、冊子づくりなんて」とぶつぶつ言う道長も、冊子のために「よき薄様ども、筆、墨など」、上質な薄様の紙や筆、墨などを用意しますが、彰子はそれを紫式部に与えてしまいます。道長は大げさに嘆いてみせますが、それでも紫式部に墨や筆などを下賜するのでした。(第30段)

 彰子と皇子が内裏に戻り、片付けなどが済んだ翌日。彰子は、昨夜、道長に持たされた贈り物の内容を確認します。上下一対の手箱の上段には、「白き色紙」白い色紙と一緒に、『古今和歌集』などの冊子が入っていました。羅の薄絹の表紙、唐の組紐を使った豪華な冊子の数々は、道長が能書家の藤原行成などに依頼して書かせたものでした。(第32段)

 あるとき、『源氏物語』が彰子の前にあるのを見かけた道長は、いつものように冗談などを口にしながら、「梅の下に敷かれたる紙」、梅の実の下に敷かれていた紙を取り上げて、(梅の実の「酸きもの」と「すきもの」をかけて)貴方はもてるのでしょうね、と紫式部をからかうような歌を書きつけて送ります。紫式部もまた、その歌を受けて、「まだ誰もその枝を折ったことがないのに、誰が口にしてもいない実を「酸きもの」などと言いふらしたのでしょうか。失礼な話です」と返すのでした。(第59段)

 道長が彰子に、行成たちに書かせて豪華に装丁した冊子を贈る第32段は、源氏が入内する明石の姫君のために草子などを用意する「梅枝」を思い起こさせます。
 そのタイトルと同じ「梅の枝」がキーワードとして使われる第59段。日記とは言いながら、物語的な情景が想像されるやり取りです。

※ご紹介した文章は華陽紙業にて意訳したものとなります。書き出しの美しさが秀逸な『紫式部日記』、是非原文でお楽しみ下さい。