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不定期配信 平安文学と紙 2 枕草子

「光る君へ」をきっかけに『源氏物語』以外の平安文学に興味を持たれた方もいらっしゃるかもしれません。
「光る君へ」から連想される様々な平安文学を、「紙」に注目しながらご紹介させて頂きます。

2 枕草子

 『物語なら住吉物語、うつほ物語』、『書なら白氏文集』、『こま野の物語は言葉遣いが古臭くて面白くないなあと思うけど、月に昔を思い出して古い蝙蝠扇を取り出した男が、馬に任せて昔の彼女を訪ねるシーンは素敵』・・・。
 好き嫌いがはっきりしていて小気味よい『枕草子』の清少納言は、時に紫式部と対極にある性格として扱われることもありますが、その「紙推し」「文具推し」の愛の強さといい、他の女房との関係にうじうじ悩むところといい、「この2人、結構似てる・・・」と思わされる場面がいくつか登場します。
 

 定子様や女房達の前で
「もう何もかも嫌になってどこかに行っちゃいたいと思う時でも、「ただの紙のいと白うきよげなるに、よき筆、白き色紙、みちのくに紙など得つれば」、普通の紙なら純白で美しいもの、上等な筆、白い色紙や陸奥国紙なんかが手に入った日には、まあ良いか、しばらくはこれで生きていけそうって思えるんです。」
と紙愛、文具愛を披露する清少納言。
 しばらく後、嫌なことがあって実家に引きこもってしまった彼女に、定子様は、「めでたき紙二十を包みて賜はせたり」、素晴らしい紙を二十枚包んで下賜しました。「この程度の紙じゃ、寿命経は書けないでしょうけどね」という伝言に清少納言は、「私が前に、紙さえあればしばらくは生きていけそうって言ったのを覚えていて下さったんだ・・・!」と感激し、「この紙を草子につくりなどもてさわぐに」、この紙を冊子に仕立てようと大騒ぎしているうちに悩みも吹き飛んでしまったのでした。(第277段)

 清少納言が清水寺に籠ってお参りしているとき。定子様がわざわざ手紙を送ってくれます。「唐の紙のあかみたるに、草にて」、唐の赤い紙に草仮名で、「お寺の夕方の鐘が鳴るたびに私は貴方を思い出しているっていうのに、貴方ったら随分な長逗留ね」という歌を送って下さった定子様。「紙などのなめげならぬも、とり忘れたる旅にて、むらさきなる蓮の花びらに」、旅先で、失礼にならないような紙を持ってこなかった清少納言は、参拝に使う蓮の花びらの形をした紫の紙に、お返事を書いて差し出したのでした。(第241段) 

 円融院(一条帝の祖父)の喪が明けた年のある雨の日。一条帝の乳母である藤三位のところに、大きな蓑虫のような格好の子供が手紙を持ってきます。「仁和寺のお坊さんから、頼んでおいたお経をこれだけ読みましたよ、という報告書かしら」と思った藤三位、その日は物忌だったので次の日、封筒を開けると中には、「胡桃色といふ色紙の厚肥えたる」、胡桃色の厚ぼったい紙が入っていました。あら変ね、と開いてみると、書いてあるのは、円融院の喪が明けて早々に喪服を脱いでしまったことを揶揄するような歌。「仁和寺のお坊さんはこんなことしないだろうし、さては円融院の別当だった藤大納言の仕業ね」と腹を立てた藤三位は、翌早朝、藤大納言に返事をし、さらにその返事をもらって、胡桃色の手紙と藤大納言の手紙の2通を持って、定子様の御前に参上しました。
 こんなことがあったんですよ、と藤三位から手紙を受け取った定子様。2通を見比べて、「藤大納言の筆跡じゃないわよ」と指摘します。「鬼の仕業じゃないかしら」と真面目な顔で言う定子様に、「えー。じゃあ、誰の仕業なんでしょう。あの人か、この人か・・・」とぶつぶつ言う藤三位を、定子様のところに来ていた一条帝はにやにや笑ってみていましたが、おもむろに「このわたりに見えし色紙にこそいとよく似たれ」、「この辺りにあった色紙によく似ているね」と言い出して、御厨子のところにあった紙を1枚、藤三位に手渡します。紙を見比べて藤三位は、やっと、一条帝と定子様のいたずらだったと気づき、笑いながらも大いに悔しがったので、その様子にみんなも大笑いしたのでした。ちなみに疑われた藤大納言もその話を聞いて大笑いなさったそうです。(第138段) 

 皇后となった定子様が第三子を懐妊し三条の宮にお住まいになっていた頃。5月5日の菖蒲の節句の日に、あるところから、薬玉と一緒に「青ざし」というお菓子が献上されてきました。「青ざし」は青麦の粉でつくったお菓子。「ませ越しに麦食む駒の・・・」という歌を思い浮かべながら、清少納言は、「あをき薄様をえんなる硯の蓋に敷きて」、美しい硯の蓋に青い薄様を敷いて乗せ、「こちらは『ませ越しの麦』ですよ」と定子様に差し上げます。
 それを受け取った定子様、「この紙の端をひき破らせ給ひて」、敷いた青い薄様の端をお破りになって、「人がみな花や蝶やと華やかな方へと去っていく日でも、貴方は私の心を知ってくれているのね」という歌をお書きになったのでした。(第239段)

(※「ませ越しの麦」の元歌は「ませ越しに麦食む駒のはつはつに及ばぬ恋も我はするかな」だと考えられています。柵越しに馬が懸命に首を伸ばしてやっと食べることができたわずかばかりの麦のように、権勢が道長へと移るなか、さまざまなしがらみをかいくぐって三条の宮に届けられたすこしばかりの麦、がイメージされている、と考えるのは空想が過ぎるでしょうか。)

『気持ちの良いもの。「しろくきよげなるみちのく紙に」、白くて綺麗な陸奥国紙に、そうは書けそうにない筆でごくごく細く書かれた手紙』(第31段)

『優美なもの。「薄様の草子。柳の萌え出でたるに、あをき薄様に書きたる文つけたる。」、薄様の草子。芽が萌え出たばかりの柳の枝に、青い薄様に書いた手紙を付けたもの。「むらさきの紙を包み文にして、房ながき藤につけたる。」、紫の紙を包み文にして、房の長い藤が咲いている枝に付けたもの。』(第89段)

『嬉しいもの。「みちのくに紙、ただのも、よき得たる。」、陸奥国紙でも、普通の紙でも、上質なものを手に入れること。』(第276段)

と、紙に対する思い入れを率直に語っている段もありますが、定子様や中関白家の人々、その他の宮中の人々とのいろいろな思い出を描くなかで、効果的に挟まれる紙の描写が「やっぱり似てる・・・」と思わされる『枕草子』なのでした。

※ご紹介した文章は華陽紙業にて意訳したものとなります。その他の段にもご紹介しきれなかった「紙」が出てくる場面がありますし、四納言(特に斉信、行成)の全員が登場するとか、道隆・伊周・隆家親子の華やかな描写、道長に対する複雑な思いなど、「光る君へ」を好きだった方なら別の意味でも楽しめる『枕草子』、是非原文でお楽しみ下さい。