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不定期配信 平安文学と紙 3 更級日記
「光る君へ」をきっかけに『源氏物語』以外の平安文学に興味を持たれた方もいらっしゃるかもしれません。
「光る君へ」から連想される様々な平安文学を、「紙」に注目しながらご紹介させて頂きます。
3 更級日記
『源氏物語』から連想される日記のひとつが『更級日記』。作者は菅原孝標の娘となっており、「光る君へ」でも彼女とされる登場人物が『源氏物語』への愛と解釈を熱く語るシーンが話題となりました。
『更級日記』は作者が52歳の時、13歳からの一生を回想して執筆したという形を取っています。『物語』『歌』『夢』といったキーワードを核として描かれる文章の中で、『紙』をキーワードとした文章は残念ながら見当たりませんが、ひとつ、印象的な紙が登場するシーンがあります。
父・菅原孝標が上総の国での勤めを終えて京へと帰任する旅。父に付いて上総の国に引っ越していた13歳の彼女も、京に帰ったら、やっと、話に聞くだけだった色々な物語の現物を読めるかもしれない、とワクワクしながら、旅に同行しています。
道中、様々な国を通る一行は、それぞれの場所で現地に残る逸話などを聞く機会を得ます。ある紙の話を聞いたのは、駿河の国、富士川を通りかかったときでした。
富士山から流れる富士川について、駿河の国の人はこんな逸話を話してくれた。
「ある年、用があって出かけたときに、とても暑い時期だったので、この富士川の川辺で休んでいたところ、何か黄色いものが流れ着いて引っかかっているのが見えました。何だろうと思ってみると、反故なり、それは文字が書かれた紙でした。拾い上げてみてみると、黄なる紙に、丹して、濃く、美しく、書かれたり、黄色い紙に、赤い色で、濃く、整った文字で書かれていて、よくよく読んでみると、来年、任期満了で国司が代わる予定の国々の、人事予定だったのです。この駿河の国も対象国のひとつなのですが、不思議なことに新任の国司の名前が2人分書いてありました。
私はその紙を持って帰って乾かし、保管しました。そうして翌年、実際に発表された新しい人事と比べてみると、これが寸分違わず紙に書かれた通りだったのです。駿河の国について言えば、最初に赴任された方が3か月ほどでお亡くなりになったので、また新しい方が赴任されたのですが、そのお二人の名前が紙には書かれていたのです。
私は『翌年の人事は、その前の年にこの霊峰・富士山に神々が集まってお決めになっておられるのだな』と思ったのです。」
後に彼女は国司の夫を任期途中に病で亡くします。この時、彼女の頭をこの逸話が過ったでしょうか。それとも、夫を亡くす経験をしたからこそ、彼女はこの逸話を13歳の時に聞いた話として書き残したのでしょうか。
また、「黄色い紙」の正体も気になります。虫害から守るために黄檗で染められ、除目などを書く公文書として使用されたという「黄紙」でしょうか?それとも『源氏物語』玉鬘巻で常陸の親王の姫君が源氏に送ってきた手紙のような、いとかうばしき陸奥国紙の、すこし年経、厚きが黄ばみたるに、といったものだったのでしょうか?
私たちが読むことのできる『更級日記』は藤原定家がつくった写本を底本とするもので、彼の奥書には「私が持っていた写本は人に貸したらその人が紛失してしまったので、これはその写本を写本したものをさらに私が写本したものだから、写し間違いがたくさんあるようだ。将来、信頼できる『更級日記』の写本が発見出来たら点検して直したい」と書かれているそうです。
日記の始まりは上総の国を出発するシーンで、上総の国は775年の正倉院文書に「紙の産地」として名が残る14か国のうちのひとつ。ということは、もともとの原文には、もっと紙の記述があったのかも・・・等と、想像(妄想?)をたくましくして読むこともできる『更級日記』です。
※ご紹介した文章は華陽紙業にて意訳したものとなります。各所で元となる『物語』や『歌』がほのめかされる、考察系ドラマのような『更級日記』、是非原文でお楽しみ下さい。