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不定期配信 平安文学と紙 4 蜻蛉日記

「光る君へ」をきっかけに『源氏物語』以外の平安文学に興味を持たれた方もいらっしゃるかもしれません。
「光る君へ」から連想される様々な平安文学を、「紙」に注目しながらご紹介させて頂きます。

4 蜻蛉日記

 「光る君へ」で、陽気な性格と冷淡な一面が同居する、複雑で魅力的な人物として描かれた、道長の父、藤原兼家。その兼家の妻のひとりで、兼家との間に道綱をもうける女性が『蜻蛉日記』の作者とされています。藤原倫寧という人の娘で、姪が『更級日記』の作者、姉の夫の弟が紫式部の母方の祖父、と、これまで紹介してきた女性たちに関係のある女性でもありますが、そちらの血縁を示す「倫寧女」よりは、「道綱母」として紹介されることが現代では多いように思います。

 「道綱母」と聞いてまず思い浮かべるのはやはり、「嘆きつつ一人寝る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る」の歌ではないでしょうか。「貴方が来ないのでひとり嘆きながら過ごす眠れない夜が、いかに長いものか分かりますか」という歌だけ見ると、冷たい兼家に泣きながら耐える「道綱母」、という情景が思い浮かびますが、『蜻蛉日記』を読むと、彼女が、か弱く嘆くばかりの女性ではないと知り、「いかに長いものか分かりますか」ではなく「いかに長いものか思い知りましたか」の方が適切なのではないかという感想を抱くかもしれません。そんな夫婦の20年が描かれるのが『蜻蛉日記』なのですが、夫の兼家が「ちょっと変わってる?」ことを教えてくれるエピソードに、紙が関わっています。
 

 本朝三美人のひとりとされる「道綱母」に、兼家が求婚したのは彼女が19歳の時。知人の紹介や女房の仲介で打診するのが普通なのに、兼家は公の場で「道綱母」の父親と顔を合わせたときに、冗談とも本気ともつかない口調でほのめかすことで結婚を打診します。彼は高位貴族の子息、自分は下位貴族の娘、「いや、無理でしょう」という彼女の返事を無視して、彼はいきなり、使者に求婚の手紙を持たせ、受け取るまで騒がせるという強引なやり方で「道綱母」に届けます。初めて届ける求婚の手紙なら、紙なども、例のやうにもあらず、普通なら紙の色とか質にも気を配って少しでも関心を引こうとするものなのに、手元にたまたまあったような紙で、筆跡もひどくて、「非の打ち所がないって聞いてたんだけど・・・」と、「道綱母」たちを当惑させるのでした。
 

 とはいえ相手は高位貴族。断り切れず、彼女は兼家の妻となります。まめに通ってきていたのもつかの間、道綱が生まれると兼家の足は遠のき、けれど離婚するわけでもなく、喧嘩をしてしばらく会わなくなるかと思えば、何もなかったかのようにやって来て、と、つかず離れずの時期が続きます。
 そんな夫婦がある貴人と仲良くなるのは、彼女が27歳になった年。相手は兼家の上司で皇族の、兵部卿の宮でした。この兵部卿の宮との交流の一節に、また紙が登場します。
 

 兵部卿の宮は彼女の父の別邸の隣に邸を持っていて、知り合った年の秋、その邸に招かれたことがありました。秋の花がとりどりに咲くなか、薄の美しさが際立っていて、彼女は「株分けすることがあったらこちらにも分けてほしい」と頼みます。
 翌年の秋、ちょっとした用事があって出かけるときにそれを思い出した彼女は、「薄の件、お約束頂いているので宜しく御願いします」と宮の邸に仕える人に伝言して出かけます。戻ってくると家には立派な薄が届けられていて、青き色紙に結び付けたり、薄の色に似た青色の色紙には、掛詞を駆使した、兵部卿の宮からの風流で楽しい歌が書かれていたのでした。
 

 風流な兵部卿の宮は、部下である兼家との交流として度々和歌のやり取りをしています。兼家と、とは言いながら、才色兼備な彼の妻が代作していることは重々承知で、兼家の留守に恋文めいた歌を送って疑似三角関係を楽しむ様子も。結婚の申し込みの紙にさえ無頓着な兼家と、ちょっとした送り状でも紙の色に気を配る兵部卿の宮。他の箇所ではあまり道具などを描写しない彼女が、わざわざ紙に言及してこの話を書き留めた真意をちょっと問い質してみたくなる『蜻蛉日記』なのでした。

 
※ご紹介した文章は華陽紙業にて意訳したものとなります。無神経だけどどうしても嫌いになりきれない夫と、嘆くばかりかと思えば結構強気な妻の『蜻蛉日記』、是非原文でお楽しみ下さい。