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不定期配信 平安文学と紙 7 大和物語

「光る君へ」をきっかけに『源氏物語』以外の平安文学に興味を持たれた方もいらっしゃるかもしれません。
「光る君へ」から連想される様々な平安文学を、「紙」に注目しながらご紹介させて頂きます。

7 大和物語

 伊勢物語の影響を色濃く受けて成立したと思われる歌物語の『大和物語』。
 あるひとりの男の生涯を核に置く『伊勢物語』とは違い、実在の人物をモデルとした複数のキャラクターを、その関係性によって次々に主役に据えながら、ある歌が生まれた背景を短編で描く、という形を取っています。

 

 宇多天皇が退位なさるというので、宇多天皇に寵愛された女房・伊勢は、『弘徽殿の壁に』、それまで住んでいた弘徽殿の壁に「私が出て行っても内裏の壁は何とも思わないでしょうけど、私はもうこの内裏の壁を見ないと思うと悲しくなります。それは帝とのお別れがつらいから。」という歌を書きつけます。それをご覧になった宇多天皇は、『そのかたはらに』、その歌のすぐ横に、「内裏を去るのは私だけでも貴方だけでもないのだからまたすぐ会えますよ」という歌を書きつけるのでした。(第1段)
 

 良峯宗貞という少将が、あるところへ出かける途中で雨に降られ、雨宿りした荒れた邸で、思いがけず臈長けた女性と出会います。結婚の翌朝、貧しくて少将をもてなす術のない女性の母親は、心づくしの若菜の蒸し物を用意して、『箸には梅の花のさかりなるを折りて、その花びらに』、お箸代わりに用意した花盛りの梅の枝の、その花びらにつけて、とても美しい筆跡で、『貴方のために衣の裾を濡らして春の野で摘んだ若菜です』という歌を書きます。それに感動して若菜を口にした少将は、後に「いろいろなものを食べてきたけど、やはりあの朝の若菜が、めったになくて素晴らしかったな」と思い出すことになるのでした。(第173段)
 

 この良峯少将、お仕えしていた帝が亡くなると、忽然と姿を消してしまいます。3人いる妻のうちの2人には「新しい帝のもとで今まで通り生きて行くのは・・・」とこぼしていたのですが、心の底から愛している残りのひとりの妻にはどうしても何も言えず、黙ったまま消えてしまったのでした。出家したのか死んでしまったのかも分からず、妻や子供が必死に探し回るなか、帝の一周忌の法要の席に、『童の異様(ことやう)なるなん、柏に書きたる文を持て来たる』、変わった格好の子どもが、柏の葉に書いた手紙を持ってきました。手紙には「みんな喪服を脱いで華やかな格好になったのですね。私は地味な袈裟姿ですが、せめて涙に濡れた袖が乾いてほしいものです」という歌が書いてあって、それが少将の筆跡であったことから、人々は少将が出家したのを知ったのでした。(第168段)  
 

 『大和物語』でもはっきり紙の描写が出てくる場面はそう多くはありませんが、なかに「書く紙」ではなく「包む紙」が印象的に使われている短編があります。

 

 皇后様に仕えていた武蔵の守の娘はとても綺麗な人でした。いろいろな人に求婚されても結婚しなかったのに、ある男の熱心さに絆されて、ついに結婚してしまいます。ところが、結婚当初は三日続けて通って来るのがセオリーなのに、男は二日目から訪問しなくなり、当然送って来るべき手紙さえ送ってきません。何の音沙汰もないまま1週間ほどが過ぎて、使用人たちにまで憐れまれるのに耐えきれなくなった娘は、『いとかうばしき紙に』、深く香を焚きしめた紙に切った髪を丸めて包んで、離別の歌を書いて男に送り、尼になってしまったのでした。実は男にも、事情というか、言い訳があったのですが・・・(第103段)
  

 ちなみに、紫式部が『源氏物語』のなかで多用し、「光る君へ」でも度々引用された「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」という歌はこの『大和物語』の第45段でも紹介されています。詠み人は藤原兼輔、「堤中納言」として『大和物語』にも複数編で登場する、紫式部の曽祖父にあたる人でした。 
 
※ご紹介した文章は華陽紙業にて意訳したものとなります。兼輔のほか、としこや監の命婦、様々な帝など、面白かったり強気だったりちょっと怖かったりする様々なキャラクターが楽しい『大和物語』、是非原文でお楽しみ下さい。