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【紙のソムリエ】番外編 シート先輩とコマキさんの紙に関する四方山話59 石州半紙
「お疲れ様、コマキさん。今日は残業?」
「お疲れ様です、シート先輩。明日の会議の資料の追加があって作成中です。」
「来期の方針対策会議だっけ。」
「ええ。もう10月ですからね。」
「10月に会議か。神様と一緒だね。」
「え?」
「10月が『神無月』なのは全国の神様が会議のために出雲に出張しちゃうからなんだって。」
「ああ、そう言えば。だから出雲地方だけは10月を『神在月』と呼ぶそうですね。」
「まあ、本当は旧暦だから今の10月とはずれてるんだけどね。島根県の出雲大社では毎年旧暦10月に神様をお迎えしたりお送りしたりするお祭りがあって、11月の上旬から中旬にいろいろな儀式が行われているそうだよ。」
「島根県というと、石州半紙の産地ですね。お祭りには石州半紙も使われたりするのでしょうか?」
「うーん、それはどうかな?同じ島根県とはいっても石州半紙は石見国の和紙だからね。」
「島根県の東部が出雲国、西部が石見国。石州半紙は石見紙とか石州和紙とか呼ばれる紙のひとつで、江戸時代に石見にあった津和野藩や浜田藩で盛んにつくられていた紙だね。藩が楮の栽培を奨励したり、できた紙を全量買い上げたりして、主に大阪の市場へ出荷していたそうだよ。」
「江戸時代というと、和紙の歴史のなかでは浅い方ですね。」
「いやいや、石州和紙自体は古くからある紙だよ。浜田藩の紙問屋の国東治兵衛という人が『紙漉重宝記』っていう和紙のマニュアル本を1798年に出版してるんだけど、それには、柿本人麻呂が石見に紙漉きを伝えたって書いてある。そういう伝説があるくらい歴史のある和紙なんだ。」
「そうなのですね。失礼しました。マニュアル本まであるのですね。」
「初心者でも石州和紙づくりが学べるように、絵入り、かな書きでつくられた指南書で、日本初のものだもとも言われている。当時、製紙はもうかる産業で製法は秘密にされることが多かったから、ちゃんと出版された詳細な製紙のマニュアル本は珍しいんだよ。」
「もうひとつ珍しいと言えば、石州半紙は本美濃紙や細川紙と違って甘皮を残す製法なんだよ。」
「甘皮?」
「石州半紙も原料は楮なんだけど、前に楮が原料の和紙の製法を説明したよね。その初めの段階に何をするかは覚えてる?」
「楮の枝を伐って、蒸し煮にして、皮を剥ぐのですよね。」
「そう。この段階では、皮は、黒皮、甘皮、白皮の三層構造になっている。他の和紙ではこの後、黒皮と甘皮を削ってしまって、白皮だけを原料にすることが多いんだけど、石州半紙の製法ではこの甘皮をあえて残すんだ。なぜ皮と呼ばれる手法なんだけど、この甘皮を残すことで、繊維の間を甘皮が埋めて、強靭で緻密な石州半紙を生み出すことができる。白皮だけの和紙に比べるとすこし黒っぽくはなるんだけど、その丈夫さや美しさが愛されて、帳簿や障子紙、書画用、書道用紙として広く使われていたんだよ。」
「石州和紙のなかでも、石州半紙技術者協会によって、地元の楮を使って、製法などを守って漉かれている和紙だけが石州半紙としてユネスコ無形文化遺産に登録されている。その辺りは本美濃紙や細川紙と一緒だね。今では手漉きで石州和紙をつくっている家は浜田市の4軒だけになってしまったそうだけど、その4軒では特に気を使って漉いた最上の楮紙に共通のブランドの『稀』という名前を付けて大切に守っているそうだよ。」
「神様から授かった稀なもの、ということでしょうか?」
「島根県にも柿本人麻呂を祀った神社があるそうだから、紙の神様から頂いた稀なもの、ということなのかも。」
「柿本人麻呂も神様会議には出席するのでしょうか?」
「どうだろうね。・・・と、会議で思い出した!邪魔しちゃった僕が言うのもなんだけど、コマキさん、人間の会議の方の資料は大丈夫?」
「もうあらかた終わっているので大丈夫ですよ。あとはチェックするだけです。」
「手伝おうか?」
「いえ、大丈夫です。・・・チェックって、和紙づくりのなかでは塵を除く作業に似ていますよね。」
「・・・それは、僕には根気の要る作業は難しいってこと?・・・・・・」
※文中、敬称略