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岐阜の観光といえば、まっ先に浮かんでくるのが長良川の鵜飼。
この長良川の鵜飼は1300年ほど前から行われており、その歴史は日本で行われている鵜飼の歴史そのもの。
鵜飼は権力者の贅沢のひとつだったため、その時々の権力者に守られて今日に至っています。
古くは源頼朝、そして織田信長や徳川家康たちが鵜飼を見物したり、鵜飼で捕れた鮎を食べたりした記述が残っています。
特に江戸時代においては徳川幕府および尾張家の保護のもとに行われていました。
松尾芭蕉も「おもしろうてやがてかなしき 鵜舟かな」という一句を残しています。
明治時代には宮内省(現宮内庁)の直轄となり、今でも長良川の鵜匠は職名「宮内庁式部職鵜匠」となっています。
鵜匠は代々世襲制で、長良川の鵜飼には6人の鵜匠がいて日鵜と暮らしています。
鵜匠の正装は、かがり火から風折烏帽子(かざおりえぼし)をかぶり、木綿でできた漁服を着て、火の粉を防ぐ胸あてをつけています。腰には腰蓑、足には滑らないようにと普通のワラジの半分の長さの足半(あしなか)をつけています。
まさに古式ゆかしい装束です。
長良川鵜飼は中秋の名月を除く、5月11日〜10月15日まで行われています。
さて、その鵜飼ですが、観光としての鵜飼の乗船人数は昭和48年をピークに平成11年くらいまで減りつづけていましたが、それ以降は県や市及び地域住民の努力(例えば長良川右岸堤防の車の侵入規制)などによって横ばいから少しづつ増加に転じています。
鵜飼は岐阜の貴重な観光資源、これを守って行くことが岐阜の活性化や発展に繋がっていくのです。 |
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