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【紙のソムリエ】番外編 シート先輩とコマキさんの紙に関する四方山話58 細川紙
「シート先輩、これ良かったらどうぞ。お土産です。」
「有難う。これは鯛?可愛いね。」
「川越氷川神社の鯛みくじです。」
「小江戸川越だね。楽しかった?」
「とにかく人が多くて。海外からの観光客の方も。花手水が目当てだったのですが、疲れてしまってあまり数は回れませんでした。」
「それは残念。せっかく埼玉県まで行ったなら、小川町は行った?」
「小川町?何があるのですか?」
「小川和紙って知らない?細川紙とか。」
「細川紙は本美濃紙と同じくユネスコ無形文化遺産に登録された和紙ですね。」
「そう。で、前に話したけど、『本美濃紙』って、美濃和紙のひとつで、原料や製法、つくる人が厳密に定められたものにだけ与えられる名称だよね。細川紙もそれと同じ感じ。埼玉県だと東秩父村や小川町が昔からの和紙の産地なんだけど、ここで漉かれた和紙の総称が『小川和紙』。そのなかでも、国産の楮を原料にしていて、伝統的な用具、製法で漉かれていて、品質が基準に達していて、細川紙技術者協会の検査に合格したものだけが『細川紙』って名前になるんだよ。」
「厳選された一品というわけですね。」
「そうだね。ただ、ひとつ違うのは、細川紙はもともと小川和紙から生まれた紙じゃないってことかな。」
「そうなのですか?」
「細川紙はもともと和歌山県高野町の、当時の細川村というところで生まれた紙だとされている。弘法大師が製紙法を伝授したと伝えられている『高野紙』のひとつだったらしい。この高野細川紙の技術が江戸時代に武蔵国に伝えられて江戸向けに改良されてできたのが今の細川紙だと考えられているんだ。当時江戸は、いきなり国ができて、人が増えて、大量の紙が必要になった。高野細川紙が商人の手で江戸に運ばれていたんだけど、これが丈夫で水に強くて帳簿に最適だっていうんで江戸で盛んに使われるようになると、産地も近い方が良いんじゃないかって話になって、江戸に近い小川町や東秩父村でつくられるようになった、と、そういう話だね。」
「もともと製紙の技術はあるわけですからね。」
「武蔵国の紙の名前が文献で確認できるのは774年の正倉院文書の記録だそうだからね。紙漉き自体には約1300年の歴史がある。その伝統の土台に新しい技術が載せられて、江戸の町人というユーザーのニーズに沿って改良して生まれたのが今の細川紙っていうことなんだろうね。」
「小川和紙の人気を表すものとして『ぴっかり千両』っていう言葉があるよ。」
「『ぴっかり千両』ですか?」
「紙を漉いて、脱水して、最後に乾かす段階で板に張って干すんだけど、最盛期には村中でこの光景が見られたんだって。冬の天気の良い日には村中が干された紙の白さでぴっかり光って、出来上がった紙は高級品で高値で江戸で取引された。だから『ぴっかり千両』。」
「岐阜に『ガチャ万』という言葉があったのに似ていますね。」
「時期や商品は違うけど、どちらもすごく景気が良かったということを表している点では同じだね。あやかりたいなあ。」
「貢献できるかどうかは分かりませんが、鯛みくじも縁起が良さそうですから。」
「確かに。有難う、コマキさん。・・・あれ、でも。」
「何ですか?」
「コマキさんが旅行したのって、夏休みじゃなかったっけ?8月だったよね?」
「・・・」
「おみくじがもし大吉だとしても・・・こういうのって消費期限とか・・・・・・」
「・・・・・・(渡すのを忘れていました、とは言いづらい)」
※文中、敬称略