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【紙のソムリエ】番外編 シート先輩とコマキさんの紙に関する四方山話73 壁紙②

「壁紙①」より続く

「和紙の壁紙と言えば、もうひとつ忘れちゃいけないのが『金唐革紙』だね。」
「擬革紙の一種ですね。これも江戸時代後期の開発でしたっけ。」
「伊勢の池部清兵衛さんが『壺屋紙』っていう名前で擬革紙の煙草入れを発売したのが天明年間だって言われているから、発明されたのはもう少し前かな。後に真似されていろんな産地で擬革紙がつくられるようになるんだけどね。」
「その過程で、金唐革と出会った人がそれを模倣した紙をつくることを思いついた、ということでしょうか。」
「金唐革自体は江戸時代の初めにオランダ経由で日本に伝来しているよ。やがてヨーロッパでのブームが終わって輸入品が手に入らなくなると皮でこれを模倣したものをつくろうっていう流れになるんだけど、和紙で金唐革の模造品をつくろうとしたひとりが平賀源内。ただこれは失敗に終わって、次に金唐革紙をつくろうという流れになったのは明治初期なんだ。」
「西洋風の建築が日本でもつくられるようになってから、ということですね。」
「もともと金唐革は西洋では壁紙に使われていたんだけど、日本ではそういう需要がなかったから、金唐革とかその模造品、あるいは擬革紙も、用途は煙草入れなんかの小物用だった。それが明治になって壁紙としての使い方を知って、万博に擬革紙を出してみたら高評価、金唐革紙っぽい壁紙もつくられて、輸出用の洋風壁紙製造業者が急増したっていう話だよ。」
「では、そういう民間の業者さんのひとりが金唐革紙を製造したのですか?」
「ううん。金唐革紙を開発したのは印刷局、今の国立印刷局の前身だね。民間で壁紙輸出がブームになっているのを知った印刷局が、外国人顧問の力も借りて、最新鋭の印刷機や印刷技術を揃えて明治13年に試作品を製造、明治17年には量産に踏み切った。ただ、印刷局にとって壁紙製造はあくまで副業だったんで、明治23年には設備の一切を製造主任だった山路さんっていう人に払い下げたっていう話だよ。」

「その頃から日本でも壁紙製造が盛んになるのですね。」
「輸出用が主だったけどね。ただ、この時期はちょうど機械抄き洋紙の進歩が進んで製造が和紙を上回るようになった時期で、手漉き和紙を原料としていた壁紙業者さんは、コストを削減して競争力を付けるために、原紙を変更するか機械化を進めるかの選択を迫られるようになる。擬革紙や金唐革紙の壁紙が勢いを無くしていったのもこの頃。原紙や加工法を変更したことで高級感が無くなったことが要因だって。ただ、原紙製造を機械化したり加工を印刷機によるものに切り替えることで、壁紙自体は量産されるようになって、ついに昭和10年に三菱製紙が高級壁紙製造に乗り出すほどの製品に成長したんだ。」
「中小に続いて大手まで製造に携わるようになったのですね。」
「第2次世界大戦で成長スピードはいったん削がれたけれど、戦後、国内に建築需要や内装の工法の変化があって、壁紙はこれまでの輸出じゃなくて内需で必要とされるようになった。で、もう一度壁紙製造にライトが当たるようになったというわけ。・・・ただ。」
「ただ?」
「壁紙の内需が増えるにつれて織物壁紙とかビニール壁紙が新素材の壁紙が台頭してくるようになる。作業性やコストが優れているというので、今では壁紙の90%はビニール壁紙になっているんだって。」

「こうしてみると、紙の壁紙の歴史って意外に短いのですね。」
「日本の壁紙の歴史自体も、戦後が本格的な内需の始まりって考えるとまだ100年にもならないしね。戦後にしても、最初はビルとかホテルの壁紙が主体だったから、日本の個人の住宅に壁紙が導入されるようになってからはまだ60年くらいにしかならない。その短い間だけでも、防火・耐火性能、環境問題、健康問題、コストや作業性で、新製品が開発されたり、一時もてはやされていた製品が使われなくなったりっていう変化も起きているから、今後また紙にライトが当たる日も来るかもしれないよ。」
「包装の世界で起きている『紙化』が壁紙の世界でも起きるかもしれないということですね。」
「『蛙化』が起きないと良いなって思うけど。」
「『蛙化』は最初に好意があるのが前提ですから、今の紙壁紙の状況ならその心配はないのではないでしょうか?」
「いや、ちょっと『か』始まりつながりで言ってみただけで・・・冷静に分析されるとつらい・・・・・・」