KAYO NEWS
華陽ニュース
【紙のソムリエ】番外編 シート先輩とコマキさんの紙に関する四方山話57 美濃和紙
「暑い・・・」
「おはようございます、シート先輩。大丈夫ですか?」
「おはよう、コマキさん。・・・大丈夫じゃない。溶けそう。」
「本当に大丈夫ですか?・・・入りますか?」
「日傘か。そうだね、要るよね。」
「必要だと思います。デザインもいろいろあって、選びやすいと思いますよ。」
「可愛いのもあって楽しいよね。和傘とかもきれいだよなあ・・・」
「岐阜和傘は伝統的工芸品に指定されていますよね。傘に貼る紙はやはり和紙ですか?」
「岐阜和傘の場合は、元は美濃和紙だったそうだよ。今の山県市に森下という地区があって、ここで漉かれた厚手の楮紙の『森下紙』が傘とか合羽とかに使われたんだって。他の産地のものが使われることもあるみたいだけど、今でも伝統を受け継いだ若手の和傘職人さんが美濃手漉き和紙を使ってつくったりして、貸出とか販売も行われている。」
「結婚式の撮影用などに和傘が使われているのをみますね。そう考えると日常使いとは遠い存在に思えますけど、もともとはもっと生活に身近なものだったのですよね。」
「紙は『一日も無くては叶はざる要物』って言葉が、江戸後期の経済書に残っている。中世には僧侶や貴族だけだった和紙の消費者は、近世には武家から町人へと拡大して、書写用から出版、建具、懐紙と用途も広がった。美濃は1,300年以上前から紙漉きの記録が残る、一大産地のひとつだからね。日常生活のあちこちで美濃和紙が普通に見かけられた時代があったんだと思うよ。」
「美濃和紙というのは美濃市だけで漉かれているのだと思っていました。山県市にも産地があったのですね。」
「岐阜には紙の生産に適した清流がいくつかあるから、かつてはそれぞれの川に沿うようにして多くの紙漉きの郷があったみたいだよ。飛騨が産地の『山中紙』っていうのもあるね。それが、洋紙の普及や生産販売環境の変化などに伴って立ち行かなくなって、紙漉きを営む農家が急速に減少した。」
「それで、今も紙漉きを続けておられる美濃市の印象が強いのですね。」
「美濃市の紙職人の方々は、以前から伝統を守るための活動も実施されているしね。例えば、本美濃紙保存会。」
「本美濃紙保存会、ですか?」
「障子紙や記録紙として美濃和紙が全国で使われるようになると、模倣して他の産地でもつくられるようになったり、美濃でも大量の注文に応えるために品質が劣る美濃和紙がつくられるようになったりしたんだ。で、本来の美濃和紙の品質や製法を守るために『本美濃紙保存会』が立ち上げられた。ほかにも、1983年には『美濃手漉き和紙協同組合』が設立されているね。今では、『本美濃紙』は大子那須楮の白皮100%を原料として、本美濃紙保存会会員の職人さんが決められた製法でつくったもの、『美濃手漉き和紙』は美濃手漉き和紙協同組合組合員の職人さんが漉いたものって決められているんだけど、そういう風に品質や製法を守る努力が、重要文化財やユネスコ無形文化遺産に認定されることにつながったというわけ。」
「森下紙は厚めの楮紙と仰いましたけど、美濃和紙には薄いものも多いように思います。」
「美濃和紙は薄いものも得意だよ。典具帖紙ってあるでしょ?文化財の修復とか工芸品なんかをつくるのに使われる、すごく薄い楮原料の和紙。今は土佐の方が有名だけど、元々は美濃で生まれて漉かれていた紙なんだよ。」
「障子紙に使われているものも薄いですよね。」
「岐阜提灯の紙もそうだね。紙に水玉模様をつける『落水紙』は越前で開発された技法だけど、美濃でもつくられていて、美濃和紙の薄紙の技術が活用された加工紙のひとつなんだよ。」
「そう言えば美濃市に大矢田ってあるでしょ?」
「紅葉で有名な大矢田神社があるところですね。」
「室町時代にはここに全国最大級の紙市場があって、近江枝村商人がここから京都に紙を運んでいたっていう話だよ。戦乱で大矢田と近江枝村の行き来が難しくなって、長良川を利用して荷が運べる上有知に市場が移転して、大矢田の方は廃れてしまったっていう話だけど。」
「生産だけでなく流通網が整っていたことも、美濃和紙が全国に広がった要因のひとつなのですね。」
「当時の政治状況や領主の振興策も要因なんじゃないかな。」
「振興策と言えば、現代の岐阜市も岐阜和傘を盛り上げるためにイベントを行っていますね。」
「和傘の展示とか貸出とかね。平日だから僕らが利用するのは難しいけど。」
「川原町で売っているところもあるみたいですよ。そちらはどうですか?」
「・・・川原町で売られているのは伝統工芸品としての岐阜和傘だからなあ・・・」
「日常使いできないのですか?」
「日常使いしている人がいたら目立ちそうだよね。あと・・・機能的な問題じゃなくて、価格面で。」
「ああ、なるほど・・・」
※文中、敬称略