【紙のソムリエ】番外編 シート先輩とコマキさんの紙に関する四方山話①
「シート先輩、何ニコニコしてるんですか?」
「新しいお札の肖像に渋沢栄一さんが選ばれたのが嬉しくて。コマキさんは嬉しくない?」
「?私も嬉しくなるような理由があるはずということですか?」
「うん、だって、渋沢栄一さんは紙業界にも関係のある方なんだよ。」
「製紙が日本に伝わった経緯は習った?」
「はい。まだはっきりしていないことも多いとのことでしたけど。」
「うん。で、この、幕末から明治にかけての洋紙の国産化の過程に、渋沢栄一さんは
・海外視察に同行し新聞社や紙幣製作所を見学 ・大蔵省紙幣寮(現在の国立印刷局)に奉職し、紙幣印刷に携わる ・明治6年、現在の王子製紙や日本製紙の前身となる「抄紙会社」を設立 |
という形で関わっているんだ。」
「日本の洋紙生産の基礎を築いた重要人物の一人、ということなのですね。」
「和紙といえば、日本のお札に和紙の原料が使われているのは知ってる?」
「和紙の原料といえば、楮、雁皮、三椏、ですよね。」
「明治政府が最初に発行した紙幣が太政官札。これには越前和紙が使われていて耐久性も良かったんだけど、印刷の面で難があって、すぐに偽札が出回ることにもなったんだって。で、政府はドイツから最新の印刷機や技術を導入すると同時に用紙についても研究を始めた。」
「ドイツの機械なら、用紙もドイツのものがという話にはならなかったのですか?」
「洋紙だけだと耐久性に問題があったんだって。で、耐久性の高い和紙との融合が考えられて、採用されたのが・・・何だと思う?」
「・・・品質の面から言えば、雁皮、ですか?」
「惜しいな。政府も最初は雁皮を採用するつもりだった。でも、雁皮は栽培が難しいということで、雁皮に性質が近い三椏を使った抄紙技術や漂白技術が研究されて、お札の原料に採用されたって話だよ。」
「ちなみに国産で偽造しにくい紙幣が印刷できるようになるまではドイツやアメリカの会社に製造を依頼していたんだけど、渋沢栄一さんが紙幣局にいたのはその時期らしいよ。国産紙幣の開発に関係していた人が、製紙会社をつくって、100年以上経ってからその国産紙幣に自分が載ることになるなんて、紙とか印刷とかとの関係の深さを感じない?」
「渋沢栄一さんは確か日本初の銀行を創立した人ですよね。関係が深いといえば、そちらの方が関係が深いのでは?」
「う・・・確かにそうかもしれないけど・・・有名人と自分の仕事に深い関係があると思うと、やりがいを感じるというか、なんか嬉しいというか・・・」
「・・・シート先輩って、姉の話していた通りの人ですね。」
「どういう意味?!っていうか、普段ロール先輩とどんな話を?!」
※上記の文章を作成するにあたり、「紙のなんでも小事典」(紙の博物館編)等を参考にさせて頂きました。
(初掲載:2019年5月10日)